Episode2 創業期の成功と多くの失敗

創業の大きな目的のひとつは「長期目線でお客様本位の投信をつくること」でしたが、そのためには投資信託委託業者の認可を取る必要があり、運用や管理、コンプライアンス等のしっかりとした体制の構築が求められました。認可取得に向け、まずは利益を積み上げていかなくてはなりません。私たちは、さまざまなビジネスの可能性を見据え、チャレンジを重ねていきました。

当時チャレンジした企画の一つは、「金の鯱ファンド」です。その頃の東海4県は、失業率が全国平均より低く、大型小売店販売が好調で、設備投資指数が高いといった傾向がありました。そこで、愛知県を中心とした東海4県の元気企業に投資しようというコンセプトを打ち出したのです。企画書を作って証券会社にアプローチしましたが、残念ながら採用には至らず、最初の失敗となった企画でした。

設立2年目の2004年には、社員数が5~6名というベンチャー企業でありながら、大胆にも東京都に本気の提案を行ないました。“資産運用特区が日本を変える!”と題したその提案は、東京都に資産運用特区をつくり資産運用業者の参入を容易にさせる一方で、投資家保護策の強化により資本市場へ資金を導入しやすくするというもの。コンセプトに対する評価は高かったと思いますが、これも残念ながら採用には届きませんでした。

一方、東京都への提案とほぼ時期を同じくして、2004年4月にはDLJディレクト・エスエフジー証券(現・楽天証券)が販売する公募投信「レオス日本成長株ファンド(愛称:鞍馬天狗)」の運用助言を開始できました。さらに2005〜2006年には、立て続けに多様なファンドの運用助言をスタートして勢いに乗ります。国内だけでも、大手電機企業、大手新聞、建設業、IT系などの企業年金基金や厚生年金基金の運用助言先を持ち、国内外で存在感を高めていくことができました。

私たちは当時から、企業調査の際、定量面に加えて定性面の分析も重要視していました。定性面の定量化にトライしていたのもこの頃です。たとえば2005年からは、上場企業への葉書アンケートを定期的に実施していました。全上場企業に葉書を送り、主にIRやガバナンスについて全数調査を行なったのです。この調査でわかったのは、「そもそもアンケートに返信する・しないの違いだけでも株価パフォーマンスに差がつく」ということでした。さらに、「返信が早かった企業と遅かった企業の株価パフォーマンスを比較すると、早かった企業のほうが良い」という結果も得られました。また面白いことに、「返信がなかった企業が返信するようになると株価が上昇する。逆に、返信があった企業から突然なくなった場合は株価が下落する」といった傾向も見られました。私たちは、「返信がなかった企業から返信がくるようになった場合は、熱心なIR担当者への担当替えや、会社の姿勢が前向きになるような業績の好転があるのでは」などと変化を推測しました。もちろん逆のケースでは、熱心なIR担当者の退社や、業績低迷によるIR活動の後退なども考えられるわけです。葉書アンケートは、会社訪問先を決める一つのヒントとして大いに活用していました。

このほか、企業調査レポートでも、定性面の定量化にチャレンジしました。FMやアナリストが経営者と面談を行なった際、人物の特徴をレーダーチャート化していったのです。項目は、「リーダーシップ」「情熱」「成熟・経験」「聞く力」「頭の回転の速さ」「透明性」の6項目。サンプル数が増えていくと、「情熱値が高い企業ほど株価が上昇しやすい」という傾向が明らかになりました。

当時の運用部は調査経験の浅いメンバーもいたため、毎朝の運用会議は運用メンバーの育成という意味でも重要な場でした。重視していたのは、全員が意見を表明し、議論をすること。しかし、藤野や湯浅のような経験豊富なFMに対し、若手が異なる意見を言うというのはなかなか難しい面がありました。そこで、運用会議に参加するメンバーに配布したのが、クイズ番組などで見かける〇×カード。このカードを使い、「提案に対しては一斉に賛成か反対かを意思表明しなければならない」というルールを決めたのです。こうした工夫により、会議は大いに盛り上がるようになり、週に一度行われていた夜の運用会議は、毎回あっという間に終電の時間が近づいたものでした。

創業初期はさまざまな試行錯誤の繰り返しで、成功だけでなく数々の失敗もありました。しかし当時を振り返ると、メンバーは誰ひとり下を向くことがなかったように思います。あの頃、私たちが前だけを見て走り続けられたのは、ひとつひとつの経験が自分たちを成長させていく手応えがあったからかもしれません。

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