姫路城に息づく 運と人の力 -全国ありがとうキャラバン開催レポート-

ありがとうキャラバン

3月2日(土)、ありがとうキャラバンは岡山県から兵庫県へ向かいました。

メンバーはコンプライアンス部の鳥越、パートナー営業部の蛭田、トレーディング部の福江、マーケティング・広報部の深澤の4名です。

今回のレポートは、深澤が担当いたします。

【レポータープロフィール】

深澤 祐介(ふかざわ ゆうすけ)

2018年12月レオスに入社。マーケティング・広報部として、Webを中心に担当。
趣味はスーパー銭湯巡りと本屋散策、旅行です。

12月入社かぁ、まだ3ヶ月目くらいだけれど、仕事には慣れてきたかな?


はい、おかげさまで、楽しく仕事をやらせていただいています。
それまでは、教育業界、介護業界や市場調査業界にいたので、金融業界で働くのは初めてなのですが、そこまで業界ならではの戸惑いは感じていません。
専門用語やなかなか理解しにくい制度を、わかりやすく・楽しく伝えていく努力が必要という点では、過去の業界も同じなので、その経験は役立っているかもしれません。

なるほどね。でも、他業界から入社してきたってことは、もともと投資に興味があったってことだよね?

投資を始めたきっかけは、新卒の時にファイナンシャル・プランナー講座を企画開発したことなんです。この時に、仕事を通じて、将来起こりうるライフイベントやそれに供えたマネープランを強く意識するようになりましたし、同時にそういったことを同世代に伝えていく場が少ないことに危機感も覚えていました。
レオスでは、自分と同世代の方々にも投資の良さ、面白さ、奥深さを知っていただけるような、「投資文化の醸成」に取り組んでいきたいと考えています!

世界遺産、姫路城を堪能

冒頭から、熱いコメントをありがとう!
今回は深澤さんにとっての初めてのありキャラだね!

兵庫は学生時代に1回旅行に行ったことがありました。でも、その時は大阪・京都・神戸を1泊2日で巡る弾丸ツアーだったので、滞在時間は2時間程度。ゆっくり兵庫を楽しめたわけではないんです。
今回のありがとうキャラバンでは、じっくりと兵庫を堪能したいと思います!

今回、ありがとうキャラバン兵庫のメンバーは、城下町・姫路にやってまいりました。目的はもちろん、国宝であり、ユネスコ世界遺産にも登録されている姫路城です。

JR姫路駅に到着すると、早速姫路市のゆるキャラ「しろまるひめ」がお出迎え!


駅から大通りを北に向かうと……

快晴の空に優雅な白が映える姫路城を発見!

姫路城というと、美しいお城というイメージがあったのですが、見てみると大きい!

天守が現存している国内の12ヶ所のお城の中でも最も天守が高く、その高さは31.5mもあります。周囲に高い建物もないため余計にその存在感が際立ちます。

姫路城をバックに記念写真!

姫路城、別名「白鷺城」の歴史は、650年前の室町時代まで遡ります。1346年、足利尊氏に仕えていた赤松貞範が播磨国・姫山に築いた城が姫路城の始まりとされています。

その後、赤松氏の一族である小寺氏が城主となりますが、1441年の嘉吉の乱で山名氏に討たれてしまうことで、姫路城の城主を明け渡してしまいます。しかし、1467年に応仁の乱が起き、赤松政則が山名氏を返り討ちにすることで、赤松氏・小寺氏が姫路城を奪還します。そして小寺氏の重臣である黒田重隆が、小寺氏から命を受け、姫路城の城主を任されます。その後は、黒田職隆、黒田孝高(官兵衛)と、黒田氏による支配が続いた後に、播磨に進出した羽柴秀吉が城主となり……

わあ、混乱してきた! 戦乱の時代だからこそ、城主の入れ替わりが激しいんだね。

でも、江戸時代に入ってからも、城主がなかなか安定しなかったんだって。城主が幼少だったり、病弱だったことがあってか、池田氏、本田氏、榊原氏、酒井氏、松平氏と大名が何度も入れ替わっていた歴史があるみたい。
城主の変遷は、瓦に刻まれた家紋にも現れていました。

蝶々のような家紋は「揚羽蝶(あげはちょう)」、池田氏の家紋です。間を挟んで「五三の桐」があり、これは羽柴秀吉の家紋ですね。もちろん、他の歴代城主の家紋もたくさんあるので、探してみるのも面白いかもしれませんね。

早速、一向は天守へ向かうことに。

路地は細く、緩やかな階段が続きます。天気に恵まれたこともありますが、3月初旬にも関わらず、身体が汗ばむくらいの運動でした。

城壁には三角形・四角形の狭間(さま)※が見えます。他にも円形や正方形など、武器によってさまざま形の狭間がなんと997個あるようです。鉄砲狭間や矢狭間がある城は珍しくはないですが、このように様々な形状の狭間の羅列は、どこか白い壁面のアクセントのように感じられ、独特のデザイン性を感じます。

※主に日本の城の天守や櫓の壁面、塀などに開けてある防御用の穴や窓のこと。戦闘の際はそこから弓矢や鉄砲などで攻撃した。

天守の壁面に水平の穴が見えますが、これは敵兵を迎撃する「石落とし」です。

姫路城って「綺麗なお城」ってイメージだったけど、きちんと防衛設備も兼ねてるんだ!

軍事施設としての姫路城と優れた建築物としての姫路城、どちらの面でも評価されているところが姫路城の奥深さですね。

いよいよ、天守内部に入ります。

想像していたより、内装は少し質素な印象でした。
大天守は地下1階、地上6階の構造です。せっかくなので、最上階まで上ります!

最上階からは姫路の町並みが一望できます。歴代の城主が見下ろしていた城下町の様子はどうだったのでしょうか。
室町時代から600年以上存在し続けることって大変なことだよね。

そうなんです。姫路城が今なお建っていることって、当たり前のことじゃないんです。
まず、江戸時代以降に大きな戦火に巻き込まれなかったこと。幕末には新政府軍に包囲されたり、太平洋戦争では空襲により焼夷弾が大天守に直撃したりと、何度も焼失の危機に面したにも関わらず、それを免れたことがあります。そのため、姫路城は「不戦城」とも呼ばれるようです。
二つ目は、江戸・明治・昭和・平成にそれぞれ大修理を行なっています。例えば、「平成の大修理」では、約5年かけて、漆喰壁の塗り替えや屋根瓦の葺き直しを行なったようです。総工費は24億円、関わった職人の数は延べ1万5,000人にものぼるようです。

すごい!「運」と「人の力」で、姫路城は建っているんだね!
そうですね。歴史ある建築物だけではなくて、私たちの身の回りの製品やサービスにも、知られざる「運」や「人の力」のエピソードが隠されているかもしれないなと感じました。

城内には、スマートフォンをかざすと、アニメーションや映像で案内や解説をしてくれるARアプリと連動した仕掛けもありました。老若男女の観光客に楽しんでもらう工夫です。このような取り組みも、姫路城を後世に残すための「人の力」といえるでしょう。

城主が目まぐるしく変わり、城が求められる役割が軍事施設、権力の象徴、観光地と変わっても、その時代その時代の「人の力」、さらにいえばその奥にある「人の想い」に支えられ、姫路城は今なおその美しさを私たちに伝えています。

さて、帰る前には、恒例の顔はめパネル!

わあ、深澤さんがお姫様だ!鳥越さんもノリノリだね!

鳥越さんはお城好きということもあってずっとテンションが高めで、顔はめもすごく積極的でした!(笑)

お腹を空かせた一行は、駅前の商店街「みゆき通り商店街」にある創作料理「一張羅」さんへランチに向かい、セミナー会場のある三宮へ向かいます。

姫路名物あなごに舌鼓を打ちました!

当たり前でないことに感謝する

ありがとうキャラバン兵庫のセミナー会場は、TKP神戸三宮カンファレンスセンターで行なわれました。土曜日ということもあってか、ご夫婦やご家族で参加いただいたお客様が目立ちました。

セミナー講師は岡山に引き続き、蛭田が務めます。
冒頭の「ありがとうを言おう」という話は、このありがとうキャラバンの大切なテーマです。

「ありがとう」、すなわち「有り難う」という言葉に、姫路城のことをふと思い出しました。姫路城がまだ存在していることが当たり前のことではないのと同様に、お客様がひふみ投信を買ってくださったり、休日にセミナーに来てくださったりすることは、決して当たり前のことではない。感謝しなければならないことだと、改めて考えさせられました。

セミナー中には、鳥越や福江、そして私も、お客様に対して自己紹介をする機会をいただきました。レオスへ入社したきっかけや自分自身の仕事内容、何よりひふみ投信に興味を持ってくださったことへの感謝を、自分自身の言葉で直接お客様へ伝えられることができた、貴重な時間でした。

セミナー後半では、ひふみ投信の特徴や購入方法などをお伝えしました。セミナー終了後にも、多くの方からご質問をいただきました。

最後には、お客様とパチリ。

なんだか深澤さんにとっても、充実したセミナーだったみたいだね。
はい。目の前の仕事が立て込むと、ついつい近視眼的な仕事の進め方になってしまうこともあると思います。そんな時に、兵庫のお客様との一期一会、そして「ありがとう」の気持ちを忘れずに、日々の仕事に取り組んでいきたいと思っています。(レポーター:マーケティング・広報部 深澤)