三宅 一弘 インタビュー

運用本部 経済調査室長

三宅 一弘miyake kazuhiro

みやけ かずひろ。1982年に日興証券入社、日興リサーチセンター配属(1997年より日本株チーフストラテジスト)。1999年に現みずほ証券入社。2002年に大和総研入社、組織変更で2009年に大和証券SMBC金融研究所、2012年に大和証券投資戦略部。2018年にレオス・キャピタルワークス入社。証券・投資関連の調査歴36年(うちストラテジスト歴32年)。

経済が身近な家庭で育ち、ストラテジストの道へ

叔父が小さな貿易商を営み、中近東に日用品・雑貨を輸出し、兄も小さな貿易商になり、私も高校生の頃から経済や証券・投資に興味がありました。

社会人となった1980年頃の日本経済には勢いがありましたが、経済や企業財務の教科書に出ている内容と、当時の日本の状況とでは大きなギャップがありました。それらを当時は日本型産業システムや日本的経営などと称していたのですが、欧米と日本の違いを不思議に思うと同時になぜ、ギャップが生じているのか・・・その調査に携わりたい一心で、入社時に希望を出して、めでたく希望が叶い、調査一筋で今までやって来られたのは幸せだなぁと思います。

「念願の運用業界。株式市場はリアルタイムゲームのような世界だった。」

1982年に日興證券(現SMBC日興証券)に入社し、子会社で調査・研究部門の日興リサーチセンター(NRC)に配属されました。ちょうど米国株をはじめ世界の株式市場が同時上昇(長期強気相場)に転じる節目で、わたしたち同期入社組はたいへん幸運だったと思います。それ以前は、市場低迷や営業重視の会社方針もあって新入社員はほとんどが支店営業に配属され、調査部門配属は数名だったのですが、同期入社組みは10名前後と一大勢力となり、先輩から叩かれることなく(笑)のびのびと活動することができました。

投資調査部門へは1986年に異動になりました。基本的に日本株を対象にマーケット分析、クオンツ(定量)分析、ストラテジーなどの業務に携わり、1997年からチーフストラテジストとして日興證券の主要な投資戦略を策定する役割を担いました。歴史的なバブル経済とその崩壊、長期低迷相場を経験したので、戦前の日本経済や株式市場の動向、米国の株式バブルと大恐慌、世界のデフレの歴史などを精力的に調査しました。こうした激動期の経験は、今も投資戦略を策定する上で肥やしになっていると思います。

ストラテジストは、時代の変化と将来展望を適確に行なうことができればほぼ満点でしょうが、それは容易なことではありません。これは私にとって永遠のテーマであり、当時から現在まで追い求めていることのひとつです。

そのためには新しい知識や、分析方法の習得が不可欠と考えるようになり、1990年4月から2年間、大学院でファイナンスと経営システムを学びました。今から振り返ると、その間の先生方やゼミの同僚は貴重な宝物です。

また、1996年から11年間、武蔵大学で、金融資産論の非常勤講師を経験しました。授業では金融・証券市場の役割などを講義しましたが、学生にとって関わりの薄い証券市場に興味を持ってもらい、理解してもらうことは簡単なことではなく、試行錯誤の連続だったのを覚えています。私は人前で話をするのは苦手な方でしたが、こうした経験によって、今は研修やセミナーで講演するのが楽しくなりました。

ストラテジストのやりがい

常々変化するマーケットと対峙するストラテジスト業務は飽きることなく、それが今も続けていける一因なのかもしれません。株式に関連する投資戦略を策定してきましたが、自分が提示する株価予想や投資アイデアが当たることも外れることもありました。当たっても、またそこから新しい事象が起きてくるので、常に新しい変化を踏まえながら投資方針の修正や調整が必要になります。

特に過去30数年間の日本株は壮大なバブルと暴落、長期弱気相場でした。一方、米国株はリーマンショックなどを交えながらも、長期強気相場です。中国など新興国市場も台頭しました。平成という時代は日本経済や日本企業が、過去の高度成長期のシステムを変革し、新しい時代に即したシステムに変革する産みの苦しみの期間だったと思います。同時にグローバル化やデジタル化、インターネットの急速な普及など、世界経済は大きく変化し、ストラテジストとしてやりがいのある激動の30年でした。特にここ10年くらいの世界株式市場では、川上産業よりも川下産業の優位化、バリュー株(割安株)よりもグロース株(成長株)の優位化が顕著になりましたが、この大きな潮流に乗った投資戦略を大勢として提示することができました。

日本株のストラテジストでしたが、海外への取材も積極的に行ないました。2000年代以降は、概ね1週間で現地取材を行なう リサーチトリップを中国25回、ASEAN6回、インド3回、ロシア・東欧2回、ブラジル、中近東・トルコなどを実施。日本企業の多国籍化やBRICsの台頭などを実感しました。

2016年6月に訪れた中国洛陽市郊外のゴーストタウン

日本経済は新しいステージへ レオスと共に未来を目指す

そんな中で、日本株のファンドマネージャーであった藤野さんと湯浅さんとは、20年くらい前からの知り合いでした。当時はITバブルの頃で、投資環境や物色動向などに関して議論したことを覚えています。

2003年に藤野さんと湯浅さんがレオス・キャピタルワークスを立ち上げる際も、新会社のストラテジーを伺いに訪問しました。

実は、2008年のひふみ投信の立ち上げなども知っていたので、うっすらとですが「もし自身がバイサイド(機関投資家)として働くならば、レオス・キャピタルワークスのような会社で働きたい」との思いがありました。超大手の運用会社は、非常に多くの投信を組成し、販売していますが、あまりにも多くの投信を販売することに対して常々疑問に思っていました。レオスはそうではなく、基本1本のファンドでした。
そして、レオスは運用規模が小さかった頃からコツコツと、手間とコストのかかる投信の直接販売をやってきました。

通常の運用会社は証券会社が集めた富裕層(≒高齢者)のお金を主に運用しているのですが、レオスは直接販売で資産形成世代(20~50歳代)に対して積立投信を勧めています。普通の運用会社とは大きく異なることに注目していましたし、感心していました。

2018年1月に大和証券でチーフストラテジストとして最後のレポートを出しましたが、その際、藤野さんと八尾さんからランチに誘われました。私は、通常の機関投資家面談だと思い、投資アイデアなどを記したプレゼン資料を持参してレストランに行きましたが、なんとそのときは「うちに来ないか」というお誘いだったのです。驚きましたが、正直なところうれしかった。

ただ、これまで一貫して証券会社で調査を行い、運用会社の経験がなかったので少し悩んだのも事実です。最後は、藤野さんから「わたしたちは国民ファンドを目指しているので、もっと良質な情報の提供が必要です。元気なら10年間一緒にやりませんか」と言われ、この一言に大きく背中を押されレオスの入社を決めました。

実際に入社して、レオスの運用部における藤野さんや湯浅さんは、巧みな猛獣使いだとつくづく思います。珍獣・奇獣の強者とも言える個性豊かなメンバーがこれまでの高いパフォーマンス(高いシャープレシオ)を支えてきたと思いますが、それは運用部のチームワークの良さも寄与していると思います。下落相場の時も、価値ある良い企業を探し、投資しようという前向きで明るいスタンスです。これは楽観的な性格の私がレオスにマッチできた理由かもしれません。

これから日本経済は30年間の鍛錬期間を終えて新しいステージに入っていく、日本株は収益拡大に見合った強気相場を辿ると予想しています。

安倍政権以降、ようやく光明が見えてきたようにも感じます。アベノミクスは、経済の主役である「企業」の稼ぐ力を「アメとムチ」の政策で蘇らせたのではないでしょうか。「アメ」とは企業を取り巻く事業環境の改善策で、「ムチ」は企業統治制度の強化のための仕組み作り(スチュワードシップ・コードとコーポレートガバナンス・コードの導入)です。

2つのコードによって、着実に企業文化は変革されつつあります。加えて、安い労賃を武器に中国などアジア新興国が台頭し、日本の製造業が負かされましたが、近年では、豊かになった近隣アジア諸国が余暇社会に突入し、富裕層や上位中間所得層がたくさん訪日観光するようになりました。観光立国政策と絶妙のタイミングです。賛否両論ありますが、外国人労働者の受入拡大もスタートすれば、新しい産業が生まれるでしょう。

(最後に、お客様に一言お願いします。)

これからの変化に対して、地方も含め多くの日本企業の活性化や価値向上に貢献していきたいです。

それらはお客様にとって、将来に対する希望につながると思います。ひふみ投信をとおして、こうした恩恵を皆さまに享受いただきたいと思います。